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日々のヲタクの思考

自分を見つめる

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皆さん、お久しぶりです。

このご時世で自粛生活が推奨されている、在宅ヲタクには天国のような時期に家のネット回線が死ぬという死活問題により文字通り死んでいる私です。

 

こんなにヲタクがしやすい時期なんてないのに全然推し事できない…

私本当に生きた心地がしません。

 

推したちもたくさん動画を配信してくれたり、ゲーム配信で異色のコラボが見れたりとそれぞれが趣向をこらした環境でリスナーを楽しめてくれているのにそれに参加できないことがストレス過ぎてハゲそうです。

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そんな環境でもありがたいことに仕事はあるので好きなことをする時間もお金も継続的に確保できているので、自分のことを見つめる時間にしようと切り替えてみると自分のしたいことや、なりたいものが少しずつ形を見せていました。

 

今まで主人のこともあり、自分のことを過小評価したり、自己肯定感が異常に低かった過去があります。「自分には絶対できない」とか「私とは生きてる次元が違う」とか自分のしたいことなどにふたをして家庭に入ることが正解なんだと自分に言い聞かせていました。

 

ここ数年の自己改善の成果もあり、自分が意外と人が好きなことに気づきました。

人と言っても、自分より優れている人や尊敬できる人、自分にない価値観を持っていたり、自分のマイルールで生きてる人など自分主導で生きてる人を好きになる傾向があります。そして、他人の性格や考え方、それに至った経緯などその人のヒストリーを聞くのが好きなのです。その人の好きなものや好きな色も気になるし、その反対にされたら嫌なことや嫌いな動物なんてどうでもいいことにすら、その人には意味や物語があるのです。そんな他人の話を聞いて自分も別人の生き方に触れることでたくさんの物語を読んだような気分になるのです。

 

そして、世の中には自分の話を聞いてほしい人がいっぱい溢れているということに驚いています。初めは、不愛想な人でも何度か顔を合わせているうちに心を開いてくると実は話好きだったり、毎日笑顔が素敵な人ほど自分の中に悩みを閉まって生きているんなんてことにも気がつきました。意外と誰かの陰口を言ってる人ほどその人に劣等感を抱いていたり、似た者同士で反発しているだけなんてこともあるあるなんです。

 

好きなことをずっと話し続ける人がいれば、嫌いな人の愚痴を永遠という人がいます。大抵の人は、本音を取り繕う建前をしっかり立てて自分の本音を話して相手に引かれることを怖がっているんです。自分をさらけ出すということは、相手を自分という人を許容できる人かどうかふるいにかける工程だということを知っているんです。だからこそこの工程に行くことを戸惑ってしまうんです。それが好きな人ならなおさらです。

 

他人が別の生き物で、似ている人はいるけれど同じ人はいない

 

このことは頭では理解していても似ているところを探して似た者同士で一緒に水遊びしている方が居心地がいいしそれで一生を終わることも可能ですが、私はそれが嫌だな。と感じました。

 

確かに自分と似ている人と話している方が楽しいし、何より楽です。ですが、その環境では自分が成長しないと気付いたのです。だからこそ自分が今までだったら踏み出すことがなかったところに足を踏み込んで自分が他人からどう映るのか知りたいし、自分が踏み込んだ世界がどんな風に見えるのか試してみようと思いました。

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皆さん人生は一度きりしかないらしいですよ?

 

 

今までは、一度きりしかないのだから着実に確実な人生を歩んで行こうという考え方でしたが、どうやら私は石橋を叩きすぎて自分で石橋をもろくしているタイプの人っぽいので足を踏み出してみて、グラグラだったら足を引っ込めて隣の橋に移ることにしてみようと思います。果たしてそれが正しいかどうかはわかりません。だって誰も正解の生き方を見つけていないし、誰かの正解が自分には当てはまらないんです。

 

もし、世界の片隅で違う出会い方をしたときは何かの運命なので声をかけてください!