xxaxx-Diary-

日々のヲタクの思考

私が思う推しからの認知

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今日は昨日の記事の続きになりますので、そちらの記事を読んでいただけると話が分かりやすいと思います。

 

xxaxx.hatenablog.com

 何個か認知されることでの反応などを書きましたが、私は基本的に個人を認識されることを望んでいません。そりゃ私の名前や顔を覚えてくれることは嬉しいですが、それを目的に応援しているわけではないので認識されないから応援しないということにならないのです。

 

確かに推しにリプライを送ったり、名前を使ったタグをつけて自作グッズを呟くことなどはありますが、それは私個人を表現しているというよりは、「あなたの歌が好きです」とか「素敵なグッズをありがとう」とか活動をしてくれることへの反応を伝える手段として使っているのです。推しも人間なので努力してできた歌の感想などが今後のモチベーションになり、自撮りを褒めてもらえることで自己顕示欲が満たされるならいくらでもリプライを飛ばすし、ほめちぎる。たくさん考えたデザインの中から出来たグッズを身に着けて自撮りをすることも全然苦じゃない。むしろ、そんなことで推しが活動を続けてくれるならいくらでもつぶやくし、タグをつけて拡散する。

 

私が応援している人たちはツイッターのフォロワー数が何十万人も何百万人もいる人たちばかりです。そんな中で私を見つけてもらおうなんてお茶碗の中から米粒を一粒見つけ出すよりも難しいのです。文字通り夜空の中の星屑なのです。ですが、私はその星屑でいれることがとても嬉しいのです。それは私という個人では到底叶えることができないたくさんの夢や見れない景色を見せてあげられる一員でいられるからです。一人では無力な私ですが、沢山のリスナーと一緒なら大きな会場のペンライトの輝きとなることができます。みんなで推しをランキング上位に導くことも出来ます。そのどれもが推しの努力と才能の賜物ですが、それを支えて推しに自信と勇気を無くさないように応援していけることがなにより誇らしいのです。

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所詮は、自己満足なんだと思います。

自分がこれでいいと思えばそれは推しに届こうが届かないだろうがどっちでもいいのです。心のどこかでは届いてほしいとは思っていますが、私個人の存在より、リスナーみんなで応援していつまでもキラキラと活動してくれる推しがいてくれることの方が大切なんだと思います。

 

中には「自分は特別な存在になりたい」とか「リスナーの中でも有名になりたい」などという考えの人もいると思います。そのために自分の特技を磨いたり、観察力や表現力を豊かにするとかたくさんの努力をして推しに認識されたのであれば、それはその人の努力の結晶だし、それをその他のモブキャラがいちゃもんつけること自体がお門違いだと思います。

 

誰かに迷惑をかけたり、他人を批判することで有名になることは案外簡単なのかもしれません。しかしそれは、あなたが自己顕示欲を満たす手段であってそれに伴って推しの名前や評判に傷がつくのであればそれは間違っていると思うのです。そんなことでしか自分を表現することができないのであればそれはもっと自己表現を学んでから発言するなり、行動するなりした方がいいのではないでしょうか?好きな人が嫌がることでしか気を引けないのであればそれは小学生の時に意地悪をすることでしか気を引けなかった男の子と一緒です。

 

沢山のリスナーがいるので性別や年齢、育った環境など一人ひとりの感覚はそれぞれなのは確かです。ですが、それを言い訳に何をしてもいいというわけではありません。せめて胸を張って「私は○○を応援しているリスナーです!!」と言えるような行動をしていきたいものです。

 

長々と書きなぐってきましたが、私は無力な個人が集まって推しの活動を彩っていけるこの界隈が大好きなんです。この文化がまだまだ続いていけますように…