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日々のヲタクの思考

推しからの認知の種類

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今日は推しからの認知に付いての私の考えを少し話そうかと思います。

 

認知とは…

 認知とは、心理学などで、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。

 ウィキペディア

 つまり、身近な表現をすると応援している人から”ファンの中の一人”という認識から”個人”として認識してもらうことです。それはファンが多い人ほど難しいのは想像の範疇でしょう。それを目標に応援を頑張る人もいれば、恥ずかしいので推しに認知をしてほしくないなんてこじらせている人もいます。私もどちらかというとこじらせているので認識されるのは恥ずかしいけれど応援の声は届いてほしいという矛盾の中でリスナーをしています。

 

ところが、認知をめぐって何度かリスナー同士で意見がヒートアップする場面が何度か見られました。そこで何個かの例について私の考えをツラツラと書いていこうと思います。

 

 

まずは、元リスナーの絵師さんや活動者さんが推しに認知された場合。

こういうパターンの認知を何度か見ましたが、異性なら大抵は荒れます。私は理解できなかったのですが、リスナーだったくせに推しと一緒に仕事をしたり、活動をすることが許せないという一部のリスナーが荒れるようです。要は嫉妬です。この手の嫉妬は社会でもゴロゴロとありますが、理解できません。

自分が憧れから一歩踏み出すことも努力をすることもなく画面の外からうらやんで嫌がらせをする。その思考が理解できないです。認知された彼女たちは才能の有無に関わらず自分の行動で推しと同じ立場まで歩いていき、一緒に歩くところまで行ったから認知されただけであって何もせずに嫌がらせをしているあなたなんかに見向きもしないなんてこと誰が考えても想像できます。

 

あとは、推しからの認知を捏造する人

これは私も存在を知ったときに寒気がしたのですが、ツイッターの返信やラインのやり取りを自分で編集して事実を捏造する人です。大抵は自己満足で作りヘッダーや背景にしていることが多いです。この人たちは何がしたいのですか?そんな事実ないことは少し調べればわかるし推しからしたら自分がしたこともない発言を捏造されている事実を知ったときに気色悪いと思うのが普通だと思います。誰しもそんなやり取りを妄想することはあってもそれを誰でも見れるところで表現してしまうことは自己満足では済まされないと思います。自分が知らない人から同じことをされていたら気味が悪いと思いませんか?そんなことするよりたくさん好きの気持ちを伝える努力をする方が健全だと思います。

 

最後に、害悪行為で認知されることを喜ぶ人

この手の人が一番タチが悪いと思っています。推しやリスナーに対して害悪行為をして悪い意味で認識されることに喜んでいるタイプの人を見かけます。この手の人は自分が推しに認識されるためには手段を選らばない人が多く、出待ちなどの悪目立ちでも推しや運営からの注意でも自分っていう人が認識されたことに喜びを覚えるので何しても嬉しいとなるので対処が難しい。認知されたい気持ちもわかるけどそんなことで覚えてもらうより毎日同じ時間にリプを送るとか、ライブのたびに会場に足を運ぶとかの方が絶対推しも嬉しいと思う。たくさん人の中から飛び出るのは難しいけどそんなことで認識されるなら一生モブキャラでいい。そんなことで認識されても全然嬉しくないし、なんなら推しの評判を下げる事にもなりかねないのでアンチと一緒と思ってる。

 

と長くなってしまったので今度は私個人の認知への考えなどを書いていこうと思います。また、次回(/・ω・)/