活動して生きるという事
先日あらきさんのブログを読んでなんだか現実は残酷なんだなと改めて実感しました。
昨日放送でも触りましたが、改めて文章に書き起こしました🙇🏼
— あらき⏩LIVE ARK (@axiz_and_nico) 2020年4月3日
よければ目を通してみてくださいませ🙇🏼♂️ https://t.co/VEtzNgnoun
皆さんにも夢を追いかけてまだ見ぬ未来に思いをはせることがあると思います。
歌い手のリスナーさんには20代やもっと若い人たちも多くいます。そんな中でこのブログの内容はピンと来てない人も多いのではないでしょうか?「あんなに人気のあるあらきさんがなぜバンドを解体しなければいけないのか」や「歌ってみたで人気になったのだからバンドがなくなっても大丈夫なんじゃないか?」など状況の重大性が見えていないツイートも見かけました。
彼らが活動をしていることは当たり前でもなければ永遠でもないのです。
最初に趣味で始めたにしろ、生計を立てるつもりで始めたにしても生きていけなければ続けていけないのです。今回バンドの解体になった経緯にもメンバーの経済的、年齢的、技術的なリミットがあったことがブログから読み取れます。そうなんです。夢にもリミットがあり、永遠に夢を見ていることは出来ません。実現すればいいですが、実現するまで夢にすがって生きていくことは自分だけでなく周りをも巻き込んでしまうのです。それを許してくれるほど世間は甘くありません。どんなにまじめに真剣に取り組んでも咲かない花は一生咲かないこともあるのです。咲いた花でもそれをずっときれいに咲かせておくことはもっともっと難しいのです。
夢に向かって行動を起こしたその勇気は一生ものの宝物になります。
後悔を恐れて立ち止まっているより何倍も人生が豊かになります。ですが、それが何年も鳴かず飛ばずでいるとどうでしょう。周りが自立して生活を安定させ、家族を養うことになるなか、自分は夢を実現させるためにがむしゃらに生きるのが精いっぱいでアルバイトで命をつなぐ日々なんてことになっていたらあなたはそれでも推しに今の活動を一生続けてほしいと言えますか?
彼らが笑顔で自分の時間を割いて音楽を届けてくれることは当たり前ではないのです。
「やりたく無い」「もう歌うのがいやだ」「沢山の目に晒される生活に嫌気がさした」
どんな些細な理由でも辞めることは彼らのさじ加減で突然起こるのです。
隣の火事は他人事のように自分の身になってみないと事の重大さがわからないのは仕方がないことなのかもしれませんが、一度立ち止まって自分だったらどういう判断をするだろうか…考えてみてください。今回あらきさんは歌い手の活動は続けてバンドだけを解体するという判断をしました。これがもし、バンド解体と共に活動も辞めることを選んでいたら…バンド活動を続ける代わりに歌い手としての活動をやめるという選択もできたのです。そうなればあらきさんを推していた人はどうなると思いますか?それが自分の推しだったら…私はその仮定を考えただけで寒気がして絶望の自分が見えました。
そうです。これは皆さんの推しにも実際あり得る事態なのです。
皆さんが「嫌いな人がいるから学校に行きたくないな」「就職したけど仕事が思ってたのと違うから転職しようかな」そう思うように彼らもふとした瞬間に「歌い手辞めようかな…」と頭をよぎることが何度もあると思います。ですが、それを思いとどまらせているのはリスナーからの反応であり、再生数であり、時には使命感だったりするのだと思います。
夢を見ることも追いかけることも素晴らしいことです。
ですが、それだけで生きていける程世間は甘やかしてくれません。
それが推しを苦しめていることがあります。
有名になればなるほど辞めにくいのはあります。でもそれは絶対やめられないわけではありません。
目の前で推しが笑っている背景が幸せであることを願っています…