推しも同じ人間だという事
最近改めて思い知らされたことがある。
それは…
推しも同じ人間なのだ
先日発表された情報は衝撃のあまり戦慄が走った。
まふまふに関するお知らせ
— まふまふの何でも屋さん (@uni_nandemoya) 2020年2月18日
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正直、今まで彼を見てきた人なら、「とうとうここまで来てしまったか…」という気持ちがあったのではないだろうか。
彼は、歌い手界隈でも特別活動に貪欲で妥協を許さないストイックさが有名だ。なので常日頃から体調を心配する声も多かった。元々体が丈夫な方ではないし、つらい過去のせいもあり、精神的にも不安定な部分が多くリスナーの間でも度々不安な声は上がっていた。彼の作る音楽が好きな反面、多彩な活動や、時間の概念がない制作体制に疑問は持ちつつも所詮ネット越しにコメントでしか心配な声を届けられないのが正直なところだった。
彼が趣味の延長で始めた活動だし、好きで何時間も制作にかかわっていると言われればそれを止める権利はないし、止められない。悲しいが、彼なりの活動を見守る事しかできないのだ。
そりゃあ新しい動画が頻繁に上がればうれしいし、新曲が投稿されれば生きる活力になる。ライブの予定が発表されれば、スケジュールとにらめっこするし、CDの発売がわかればお財布と一晩中会議する。それは、すべて推しの活動を応援したいからだ。活動が活発であればあるほどうれしいのは確か。でも、それは彼が楽しい活動をして健康で生き生きと人生を歩んでいる場合である。
今回のように、生活に支障が出たり、体調を崩してまでの活動を待っているかと言われれば答えはノーだ。
どんなに活動が活発で、新しい情報が次々と出てきてもそれで推しが体調不良を起こすのであればそれは嬉しい知らせではなくなってしまうのだ。彼は、界隈の先頭を走っている故に、新しいものを求められ、常に進化し続け、結果を出し続けなければいけないプレッシャーの中で活動の幅を広げてきている。それに応えるようにリスナーも応援の声を大きくしているのだ。それが、無理をして、体を壊しながらの活動だと知ったときそれは素直に応援出来ない。なぜなら、推しの音楽を応援する以前に彼自身に楽しく、そして幸せに生きてほしいからだ。私の人生に色を付けて生きる力を与えてくれたように、推しにも力を与えたいし幸せに生きてほしいのだ。もし彼の望みが、身を削ってでも歌を届けたい!もっと確かな力を付けて弱いものを守りたい!というものだったのなら交わらない願いがこの事態を招いたのだ。
彼は、自分願いとプレッシャーとそれに応えようとするリスナーの気持ちとで身動きが取れなかったのだろう。自分が休むことで離れていくリスナーがいるのではないかと不安で苦しみ、自分の不甲斐なさに悲しみ、心配をかけている友人たちや関係者に申し訳なさで死にたくなるのだろう。そうなることが分かっていたからこそ走り続けなければいけなかったんだと思う。じゃないと全てに押しつぶされそうで怖かったのだと思う。
でも、最悪の恐れていた事態が起きてしまった。
今、彼が何を感じて何を思っているのかはわからない。
でも確実にわかるのは、彼も同じ人間なのだ。
ピンと張っていた糸がこれで切れてしまったことは確かだろう。
この先どういう発表が待っているのかわからない。
今は、誰か彼の支えになってくれる人がそばで寄り添っていてくれることを願っている。