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日々のヲタクの思考

お久しぶりです。近況報告

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約8ヶ月ぶりに更新しています。みなさんおひさしぶりです。この8ヶ月は人生の中でも1、2を争うほどの岐路に立たされ自分にさく時間がありませんでした。ここには今の心境と記録用の事実を記しておこうと思います。

 

まず、家庭のことですがくまさん(主人)とお別れをして別々の人生を歩むことにしました。この決断に至るまでにはいくつもの問題とそれを乗り越える為の話し合いがありました。

 

彼はとても努力家で負けず嫌い、そして誰より人に優しく自分に厳しい人でした。第一に私と子供達の事を思ってくれていました。それは今でも変わりません。そんな彼と17才で出会い今まで17年間の間に何度もぶつかり合い、励まし合い、手を取り合ってきました。

 

私達はお互いに幼少期の家庭環境にコンプレックスがあり幸せな家庭像にかなり理想と期待が大きかったのだと思います。暖かく仲睦まじい家庭を夢みる二人が今まで育ってきた環境とのギャップに苦しみ自分で自分の首を絞めてることに気が付くのが遅すぎたのです。

 

私は金銭的に不自由はなく親からの愛に飢え、主人は愛されて育ちましたが裕福とは言えない家庭でした。のちに、出逢ったときにお互いの身の上を羨み、この人なら自分の理想の家庭が築ける!そう胸の中に思ったと聞いた時は相手も同じ事を思っていたのかと衝撃でした。

 

まだ若い私達が家庭を持つと決め、結婚生活が始まると障害の高さと一つ乗り越えた先にもっと高い壁がある現実に眩暈がしました。ですが、世間に失望の目を向けられることを嫌い、理想の家庭に近づける事だけを目標に必死で壁をよじ登っていくしかなかったのです。

 

でもその過程で少しずつ壁を登る速度に差が出始め、それに気づかないフリをして、先に登った方が早く着いた分、次の壁を攻略する方法を1人で考える。遅かった方は遅れを取り戻すために違和感に目をつぶりただ前だけを見て休まず登り続ける。そうしてそれぞれが自分の出来る範囲を遥かにオーバーしてがんばった結果、私達は夫婦でいる意味を失ったのです。

 

それぞれが立派に自立し、責任感と使命感をもって生きてきたので二人で寄り添うという本来の家庭の在り方を必要としなくなってしまったのです。

 

未だにどこで間違ったのかいつからそうなったのか正直わかりません。誰も悪くないし私も主人も必死に相手を思いやり家族を大切にしてきた結果こうなったのです。

 

相手を幸せにしたい。子供達を不自由なく育てたい。3食栄養のバランスが取れた食事を用意して、子供が友達とギャップがないように欲しいモノは記念日には買ってあげたい。仕事が忙しい時にはお互いに子守りを代わり疲れていても家では平気なフリ。仕事の付き合いで飲み歩くことも仕方ないことと自分の気持ちを殺し、ママ友同士で学生のような派閥争いに巻き込まれても心配をさせまいと笑顔で主人を迎える。主人は仕事で理不尽な仕事を押し付けられても家族を養う為と悔しい気持ちを噛み殺して上司にへつらい、飲みたくもない酒で体を壊しても私に心配を掛けまいと隠れて薬を飲む。

 

そんな歪な思いやりがどんどん夫婦の溝を広げ、相手への不満を募らせていったのです。

 

私達はお互いに相手を思いやりすぎるあまり、互いに寄り添う事を忘れ、むしろ相手に頼ることを自分の力不足だと思うようになってしまったのです。

 

何度も話し合い家族の歩みをまた建て直す道はないかと模索しましたが長年培ってきたモノを捨てきれるほど子供ではなくなっていました。出逢った頃高校生だった二人は夫婦になってからも社会でそれぞれが沢山の経験と沢山の人の価値観に感銘を受けながら大人になっていたのです。それはとても悲しい現実でしたが紛れもない成長の証です。出来ることなら育った先も一緒に歩きたかったけど...それは叶いませんでした。

 

このまま気づかないフリをして家族を続けていくことは出来ると思います。でもそれは私たちの理想の家庭とは程遠いモノになってしまいます。それに気付いた時は寂しくて悲しくて泣きました。

 

こうなる為に頑張ってきたわけじゃないのに...どうして相手の辛さを察してあげられなかったんだろう?と自分を責めたりもしましたが、互いに悟られないように隠してきたので気付かなくて当然です。

 

こうして私たちの夫婦生活は幕を閉じることとなったのです。残ったのはやるせない思いと一人で歩けるようになってしまった自分と愛しい子供達です。

 

今でもときどき後悔することがありますが、それでも子供達の為にも笑顔を絶やさず歩いていくつもりです。

 

近況はこんな所ですね。

これは自分の気持ちや状況を記録する目的なので読みづらいところもあると思いますが見逃してくれるとありがたいです。

 

また少しずつブログも更新していく時間を作りたいと思うのでよろしくお願いします!

気になった広告

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最近見た広告が気になったので少し調べてみたら気になりすぎるので夜な夜なカスタムイメージしてるw

 

こちらの広告みたことありませんか?私は先日初めて見ました!!

 

 

本来なら、家族や恋人などにプレゼントする目的で利用することを想定して販売されているようですが、こういう推し事をしていると、カスタムできるグッズは推しのテーマカラーや誕生日などで作ってみたくなっちゃうものなんですよねww

しかも価格も1万円台からと時計にしては手が届きやすい価格なのもいいですよね。

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いろいろな部品を自分の好みにカスタマイズできるので推しのイメージカラーや誕生石を付けてみたりとやりたいことがありすぎて何時間もイメージして遊んでしまいましたw

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しかも!しかも!!

裏に好きなメッセージを刻印することも出来るんです!!

これ嬉しくないですか??推しの名前や誕生日を入れるのもいいし、なんなら読まれたコメントを記念でいれるとかイベントでした記憶に残った会話を入れたりと、想像は膨らむばかりです!!

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カスタムをしてオプションもたくさんつけても3万円までいかないので自分へのご褒美に欲しいなと考えているんですが、どうしよう…


 

こっちの時計も気になってるんだけどこっちはデザイン可愛いし、価格もリーズナブルだけど推し要素入れられないの少し惜しい…

 

 

どうしようかな…

 

皆さんの自分へのご褒美ってなんですか?

 

推しに貢ぐという事

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私がいつも癒されている推したちに感謝を伝えるためにしていることはいくつかありますが、今回は「推しに貢ぐ」という事について私の経験と考え方を書いていこうと思います。

 

「貢ぐ」という言葉には2通りの意味があります。

1つは金品を相手に贈るという意味。

もう1つは主君に献上する。捧げるという意味です。

 

普段使われる意味は圧倒的に前者が多いと思います。恋人に貢いだが捨てられたとか、好きな人に貢ぎ癖があるなどネガティブな使い方がされることが多いように思います。でも私が推しに使う貢ぐは圧倒的後者なんです。確かに推しに対して前者の意味で使う人もいると思います。なぜこんなにも言葉の使われ方が極端に違うのでしょう?それは、金品を送る側の精神状態が全く別物であることが理由だと思います。

 

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1つ目の「金品を相手に贈る」という意味で貢ぐ人の心理状態として、かまってほしい。振り向いてほしい。関心を引きたい。ライバルに勝ちたい。など、相手に尽くすのが好きだったり、相手の気持ちを自分に向ける手段として贈り物をする人が使うことが多いように思います。これには、推しに認知されたいとか、推しと個人的に仲良くなりたいという人もこの部類でしょう。

 

2つ目の「主君(つまり尊敬する人)に金品を献上する」という意味で貢ぐ人の精神状態として、尊敬する人の繁栄や発展を願って自分の資産を分け与えることで自分も一緒に繁栄の礎になることを願う人。この場合の多くはただ相手のことを思って見返りを求めず一途に思う人が多いです。もう一つのパターンは相手に金品を送ることで自分の力を周りに知らしめたいとか、大金を貢ぐ自分に酔っていたりと、とにかくプライドの高さを貢物で満足させたい人です。このタイプの人は貢ぐ相手が目上の人であればあるほど、みんなから注目されている人であるほど自己顕示欲を満たすために高額の金品を差し出すのです。

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私の場合は、推したちに今後も楽しい活動をしてほしいので、自分のお金で推しが家賃を払えて、光熱費を賄えればいいなあという浅はかな思惑から貢ぐという行為に至っています。もちろん純粋にグッズが欲しくて買うこともありますし、CDやDVDはいくら払っても欲しいものなので貢いでいるという意識は全くありません。

最近ですと、配信中に投げ銭制度がある配信サイトも多くその額も高額なことが多くあります。これはサイト側の戦法で誰がいくら貢いだか表示することでリスナー同士のライバル心を煽り、顔も知らない年齢も違う誰かに見栄を張りたいという心理をうまく使った戦法だなと変に冷静な気持ちで見ていますw 

誰かに見栄を張ることも、推しに自分を認知してほしいという気持ちも決して悪いことではないと思います。私だって推しにコメントを読まれれば叫ぶぐらいに嬉しいし、ちっぽけな自分の小銭で推しののどが潤うのであれば本望です。

 

 そんな気持ちが私の日々の仕事へのモチベーションであり、生きていく上での活力と癒しになっているのです。私は推しに心穏やかに、楽しく活動して欲しいのでそのためにする数々の行為に見返りは基本的に求めてません。見返りというより活動してくれてありがとうとか、新作の曲最高だったよという感動を形でわかりやすく表しているという方がしっくりきます。それでも感動や感謝の大きさを金額で表せないのでほんの気持ち程度でしか推したちに返せないのがもどかしいのです。

 

夢はおっきく、目指せ大富豪!!!

 

そして推しを愛でるだけのお仕事(推し事)がしたい…